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「環境的価値」が資本主義経済的思考において軽視されている 態度が悪くてすいません

態度が悪くてすみません―内なる「他者」との出会い (角川oneテーマ21)

態度が悪くてすみません―内なる「他者」との出会い (角川oneテーマ21)

薦められて、初めて内田樹さんのエッセイを読みました。この人はナンバの甲野先生と繋がっているそうだ。

印象的だったのが2つあって、1つ目は

「時の守護者」ってやつで、環境の価値と、環境によって人の顔が変わるという話。

神戸女学院大学の岡田山キャンバスは辺鄙な場所にあるのだが、財政再建を検討したときに、某シンクタンクはこのキャンバスの価値を、「資産価値ゼロ」と判断した。
そして、キャンバスを売却して、交通の便のよい場所に新キャンパスを立てることを提案した。

その時のことについて、キャンバスの「環境的価値」が資本主義経済的思考において軽視されていると以下のように分析している。

キャンバスには寮があり、寮生は岡田山山中で4年間過ごす。その結果、「寮生」と「通学生」の間に4年間で容貌差が生まれるらしい。

分かるような気がする。

梅田や三宮に住む学生は「きりり」と引き締まった顔立ちをしていて、「攻撃的」な容貌になる。
自己防衛上、自分にバリアを張るのだ。

これは僕が東京に来て感じたこととも似ている。東京では人に関心がなくてみんなバリア張ってるみたいと感じた。

一方、岡田山山中の「寮生」の顔は輪郭がぼやけていると表現されている。先日行った山梨県清里で感じた。自然に囲まれて、みんなホンワカしている。笑顔が絶えない。そして、いろんな気づきが得られる。

ノイズばかりの環境では人は知らず知らずのうちに何かフィルターを設けて自己防衛するんではないか。一方、ノイズが少ない環境では五感が冴えてくる。感受性が豊かになる。そんな気がした。

つまり、岡田山キャンバスは経済的に「資産価値ゼロ」でも、「環境的価値」はあるということ。
目先の価値に追われて、長い目で大切な価値を失っている。そんなことがある。会社経営も同様だし、人の生き方もそんな気がする。

自分の仕事をつくるという本では、「良質の製品は、良質の作り方から生まれる」と書かれている。つまり、作り方が悪いとどうやってもダメなのだ。

ワークフレームという考え方に共通点はあると思う。ただ、ワークフレーム構築時には人のモチベーションも含めて検討しないといけないと僕は思う。モチベーションないワークフレームは絵に描いた餅だ。ワークフレームはビジネスモデルの1要素だが、その中の「環境の価値」や「人のモチベーション」を大切にしたい。

もう1つ面白かったのは、「ご飯はえらい」「喫煙の起源」というエッセイで書かれていたコミュニティ・環境の重要性。

コミュニティがやっぱりなくなってきてるのだ。すべてが個人単位になった結果、人はコミュニティに飢えている。

  • 同じ空気を吸うこと
  • 同じ空間に存在すること
  • いっしょにご飯を食べること

なんでもいいけど、人と共存することがコミュニティだと思う。

「ご飯はえらい」、では一緒に飯を食べたいと思うかどうかで相性が分かるって話

「喫煙の起源」では、喫煙はもともと儀式からきてて、液体、気体を共有することは1つのコミュニティ形成だと。
そこには共存の意味があるので、人からタバコをもらうことが成立している。と解いている。
焼き鳥は知らない人からもらわないけどタバコはもらえる。
なるほど。

つまり、液体、気体を共有することでコミュニティは生まれる。

そう考えると、喫煙ルームでの密度濃いコミュニケーションも納得だ。
酒の席で、お互いビール瓶に注ぎあう攻撃も親睦を深めるために理にかなっているのか。
大浴場で風呂に入るのも同様。
液体、気体を共有することって他にもあるかな?

酒の注ぎあいを不要と思い、喫煙は体に悪いと止めて、コミュニティに飢えるというのは不思議だが時代の変化なのだろう。

最近強く思うのが、コミュニティ・環境の重要性。それは、経済的価値を判断しにくいが、人のハッピーに大きく関係してると思う。